レゾンデートル

〜 天の羽衣 〜

(8)





  †…†…†




 外壁に砂嵐が激しく打ち付ける音。目を閉じたまま聞いていると、それは砂よりも湿った音だった。雨が降っているんだ。

 目覚めて天窓から空を見ると、暗く雲が張りつめていた。夜は明けているようだ。太陽がないと時間感覚が狂う。

 シオリさんは床にうずくまるようにして翼で体を包んで眠っていた。おれの左手は、彼とつながったままだった。

「ごめんね、おれだけベッドで寝ちゃって」

 おれはベッドを下りてシオリさんの前にしゃがんみこんだ。

 シオリさんの髪は、よく見ると真っ白じゃなくて灰色がかった白だった。触れてみると、とても細くてやわらかかった。

「きれい」

 シオリさんは寝息も立てずによく眠っている。

 と思っていたら、ぐいっと左手が引かれて、おれは翼を広げたシオリさんの胸に突っ込んだ。

「わ、」

「おはよう、ヒサシ」

「起き、起きてたの?」

 シオリさんは笑っている。やっぱ起きてたんだ。

「元来あまり眠らないのだ」

「ひどいなあ。すっかりだまされた」

 おれは笑い出した。シオリさんも笑った。

「それに、ベッドのことは気にするな。横になると眠れないのだ」

 そうなんだ。鳥みたいだな。…鳥なのかな?

 おれは窓際に寄り、外を眺めた。

「すごい雨。これならちゃんと地下水になってくれそう」

「いい雨だな」

 シオリさんも外を見ながら言った。

「なにか食べない?」

 おれは空腹だった。昨晩からなにも食べてないからなあ。

「シオリさんはいつもどんな食事してたの?」

「果物や木の実を食べていた」

 やっぱ鳥?

「だがあまり経口摂取はない。食べなくても光があればエネルギーに変換されて体を維持できるのだ」

 光合成!? そりゃ植物だし。有翼人て不思議な体してるんだな…。

「とりあえずイチジク切ってみたよ。どうぞ」

 おれはイチジクとパン、それからレモン水を食卓にならべた。

「ありがとう」

 シオリさんはレモン水を気に入ったみたいだった。

 食事を終えてひと休みしている間にも、雨は潔く降り続けている。毎年この日だけは村全体が静まりかえる。外に出ても仕事にならないからだ。道は雨を吸って泥川になり交通も麻痺する。

 おれはこの日に一人で外に出るのが好きだった。乾湖まで足を運び、湖が水を湛えていく様子をずぶ濡れになって眺めるんだ。

 雨が上がった後、泥が沈下して澄んだ湖で泳いでいると、自分がとてつもなくちっぽけに思えて、逆に心が広がっていく気がしてくる。雑念が水底に沈んでいって、いつの間にか思考がクリアになっているんだ。

「行くか」

 おれがうなずくと、シオリさんはロフトに上って行った。

「飛んで行かないか」

「いいの?」

 おれは跳ねるようにシオリさんの後を追い、ロフトに上った。

 天窓を開けると、風雨が吹き込んできた。

 おれはシオリさんに抱きついた。シオリさんがおれの腰を支えて翼で屋根をつくり、外に飛び出す。翼で頭を覆ってはいるけれど、横からも雨が当たるから結局おれたちはすぐびしょ濡れになった。

「シャワーだね。贅沢だあ」

 シオリさんも翼の傘を止めてしまった。

「そう考えるほうが楽しいな」

 本当、楽しい。二人だとこんなに楽しい。

「乾湖はあっちだよ。大きい木があるでしょ。毎年おれはそこで湖を見るんだよ」

 おれたちは、乾湖と呼ばれている大きなくぼみのそばにそそり立つ木の下に降りた。さすがに飛んでくると早い。足もどろんこじゃないし。乾湖にはまだ水は張っていなかった。

「こんなに降ってるのにまだ吸ってる」

 茂る木の葉のおかげで、ここは雨宿りという言葉がぴったりの所だ。おれは濡れた髪を絞った。

「そういえば、髪の光消えちゃった」

 おれの髪はいつもの蒼色に戻っていた。

「一時的なものなのだろう。光らなくても、おまえの髪は美しい」

「そうかな…」

 やっぱり照れてしまう。おれは水をたっぷり吸収していた纏布も絞った。 

 シオリさんはひと通りあたりを見渡してから、木に触れて言った。

「これはレインツリーだな。すばらしい木だ。わたしの三倍は生きているだろうな」

 じゃあ樹齢は三千年くらいってこと? すごいな!

「知らなかった…立派な木だとは思っていたけど」

 もしかしたら、おれの先祖たちもこの木に触れていたかもしれない。おれも木に触れてみた。何もかも知り尽くしているような力強い幹。

 木よ、先祖たちに伝えておくれ。おれはシオリさんに会うことができたよ。おれは彼について行く。いいよね…?

「ヒサシ、聞いてくれ。わたしはあとどれくらい生きると思う? どれだけ生きればいい?」

 その問いは唐突すぎておれは困ってしまった。シオリさんはおれを見据えていた。声色には切なさの余韻があった。

「どうしても考えてしまうのだ。この先、おまえとならば充実した日々を送れるだろう。しかしおまえは人間だ。いずれわたしの傍から消え逝くだろうと」

 シオリさんは悲しいことを考えていた。優しい瞳に隠していた。一緒にいても、おれのほうが先に死んでしまうことを分かっていた。

 シオリさんを置いて逝く…そんなこと、したくない。

「シオリさんの寿命、永いよね」

「ああ…」

 おれの目から涙がぼろぼろと零れ落ちた。

「いやだ…またあんたを独りにすることになるの? こんなにおれを必要としてくれてるのに、おれはあんたに応えてやることもできないの? そんなの、あんまりだ…」

 やっと出会えたのに。この人について行くって決めたのに。

 どうすることもできない。たかが六十年のおれの命なんて、シオリさんの時間のまばたき程度じゃないか。そんなんじゃ、なんのために出会ったのかわからない…!

 シオリさんがおれをそっと包み込んだ。

「ヒサシ。わたしは永遠を望んだことはない。死を願ったこともない。自らはなにも求めず、流されるばかりの日々だった。おまえを見つけることができなければ、この果てしない生命に打ちひしがれていたかもしれない」

「やっと、見つけてくれたのにっ、」

 おれは泣きじゃくった。

「…わたしは方法を見い出した。独善ではあるがな」

 静かな声だった。おれはシオリさんを仰ぎ見た。シオリさんは無表情でおれを見下ろしていた。

「どう…するの」

「有翼人は自害することができない。だから、ヒサシ、わたしを壊してくれないか。おまえの気持ちも考えずにこんな…」

 おれはシオリさんの言葉を遮った。

「壊すって、あんたを独りにしない方法はそれしかないんだろ? おれはあんたの初めての願いをかなえてやれる!」

 でも、どうやって…? 壊す…力、おれの、蒼髪?

「ありがとう、ヒサシ」

 シオリさんは穏やかに表情をゆるめた。

「おれの髪を、使うの」

 そうなんだね。

「おまえの蒼髪に継承されている力を発動させれば、破壊は、可能だ」

 シオリさんの考えていることがわかってしまった。シオリさんは自ら命を絶つことができないから、蒼の力を使って、心も体もひっくるめた存在自体を壊すんだと言ってる。それは、無になること…。

「もう、おまえを失いたくない…」

 シオリさんはつぶやいて目を伏せた。

 天命が尽きるまで共にいられないのならば、いっそ…。

 おれはシオリさんの手をとった。






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