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シオリさんはどこか遠くを見る目をしていた。あんたは…孤独が怖かったの? 左目を失くして寂しかったの…?
「十年前、おれたちは出逢ったよ」
「確かに出逢った。が、わたしは左目が本当に人間化するとは思っていなかったし、あのときはおまえに刻印を見い出せなかった。
あれから再び世界を彷徨ったが、わたしの蒼も刻印も手がかりすらなかった。そして思ったのだ。蒼髪の人間などいるわけがない。もう一度会って確かめよう…。そうしてわたしは戻ってきた。
わずかだが希望もあった。以前出逢ったとき、おまえがわたしの翼を認識できていたことだ。今までそれができたのは、おまえただひとりなのだよ…」
あまりに切なげに見つめられて、おれはまた胸が苦しくなった。きっとシオリさんは、自分がそんな顔をしているなんて気付いてないんだ。
「シオリさん、あんたは…地上に来てどのくらいになるの」
「さあ。何度も同じ季節を迎えたが、千くらいではないかと思う。よく覚えていない」
驚くしかなかった。十年前から変わらない容姿をおかしいとは思ってたけど、千年…てことだよな。この人は、そんなに長い間、ひとりで…
「寂しかったんだね」
おれはシオリという人の存在を否定しなかった。少なくとも、おれは孤独を知っている。満たされなさを知っている。もしかしたら、おれが彼の千年の孤独を癒せるかもしれない。なんとなく、そんな気がした。
「寂…しい?」
「たった一人で…来る日も来る日も太陽を追いかけて…翼がこんなになるまで…」
おれは立ち上がって、シオリさんの頭を胸に抱き寄せた。
「おれを捜してくれたんだね」
目頭が勝手に熱くなってきて、涙を堪えるのが辛かった。
「十年前あんたに逢ってからなんだ、模様が浮き出るようになったのは。あの出会いはきっかけだったんじゃないかな」
シオリさんはおれを見上げた。おれは彼から離れて、向かい合わせの椅子に座った。
「この村には言い伝えがあるんだ。『翼を秘めし者 沙の地に至り 安そそぎかえる』っていうの。今では誰も信じないけど、おれはあのときからずっと信じてた。これってあんたのことだよね。有翼人がこの地祇の村にやってきたんだ。きっとそうだよ。」
おれの話を聞くと、シオリさんは静かに言った。
「そうか…、ここは地祇というのか。ならば伝承は確かなものだ。聖域の天神は地上の地神と約を結んでいる。それが地祇という場所なのだ。刻印を出現させるために、わたしは自らこの地をみつけなければならなかったのだな。…ずいぶんと、迎えにくるのに時間がかかってしまった」
シオリさんは真っ直ぐににおれを見つめてきた。深紫色の右目に不思議な光が揺らめいている。
「やっぱりおれが、あんたの左目なんだね。…これからどうするの」
そしておれはどうなるんだろう。どうすればいいんだろう。
「ヒサシ。おまえは先ほどわたしを寂しいと言ったな。そして抱き寄せてくれた。おまえはわたしをこんなにも満たしてくれるが、わたしはおまえを同じくらいには満たせないかもしれない。それでも…共にいてくれるだろうか」
澄んだ声だった。
おれがシオリさんを満たしてやれてるの…? 出会っていくらも経ってないのに? でも、普通なら時間経過が必要なことも、おれたちの場合関係ないんだろう。
おれといてシオリさんが満たされているなら、おれだってそうなるはずだ。だって、もともとは同じ生命だったんだから。
双眸の存在が分かれてシオリさんは孤独になった。そしておれに出会った。おれはシオリさんの一部なんだから、一緒にいるのはおかしいことじゃない。そういうことだよな。
「いいよ」
おれはうなずいた。
「一緒にいたら、聖域には戻れないのかな」
シオリさんは聖域に未練はないのだろうか。彼は冷静に答えた。
「不可能だ。隻眼では…。それに聖域に帰りたいとは思わない。わたしは長く生きてきた地上が好ましいと感じている」
そうか。地上の多彩さがシオリさんの寂しさをまぎらせていたんだね。
「そっか…。ねえ、祭りに行こう。今日の祭りが終わると、明日、年に一度の雨が降るんだよ。一年分の雨が一度に降るんだ。カラカラに干上がっていた乾湖があっという間に海みたいになるのは圧巻だよ」
おれははだけていた纏布を羽織り直し、シオリさんの手をとって家を飛び出した。
ヒュヒュルゥゥ…
ドォーン…
火の穂がなだれ落ちてくる。花火はまだ続いていた。
「地上からの花火は美しいな」
手をつないだままおれたちは空を見上げた。
「空から見たことは?」
シオリさんはおれの返事を聞く前に、おれを横抱きに抱いた。
「えっ、うわ!」
「しっかりつかまっていろ」
そう言われておれはシオリさんの首に腕をまわした。
ぼろぼろの翼が広がって羽ばたきをはじめると、重力に逆らってゆっくり浮き上がる感じと引力に引っぱられる感じとが渦巻き、おれの体内で喧嘩しだした。
うわあああ!
なに? 空からなんてあるわけないよおお!
「すご…浮いてるよシオリさん!!」
家の屋根を見下ろせる高さになると、喧嘩もピークに達したみたいだ。
「シオ…っ、落ちちゃうよおお!」
「怖いか。手を離すな、大丈夫だ」
おれは夢中でしがみついていた。
「ヒサシ、さあ、目を開いてごらん」
怖くて目を閉じてしまっていたらしい。ゆっくり目を開けると、村の明かりも祭りの賑わいも足元にずっと小さく、花火を打ち上げる場所まで見えた。そして、同じ目線の先で花火が開いたんだ。
その光景に絶句してしまった。花火がはじけるのと同時に破裂音が鼓膜を震わすなんて。
「夢…みたい」
「息は辛くないか。空気が薄いだろう」
シオリさんはしっかりおれを抱いていてくれた。
「平気。…すごい、すごすぎて何がなんだか。本当に飛んでるし、きれいだし…」
景色を見渡したあと見つめたシオリさんの目は、花火の光を受けてさざめいていた。その瞳がおれをとらえて、その色で、おれの心は凪いでいった。
「おまえは美しい…。この髪、この姿」
突然賛辞をもらったみたいだけど、いやな感じはしなかった。おれよりシオリさんのほうがずっとずっときれいだと思った。
「この髪、あんたに逢った日から伸ばしてるんだよ。みんなと違う蒼い髪は突然変異とか言われて、嫌で短くしてたんだけど、あの日あんたが言った言葉で、そんなコンプレックス吹っ飛んだんだ」
「ヒサシ…」
おれはシオリさんにしがみついた。
「少し下りない?」
「そうだな。祭りの上空を飛んでみよう」
「翼、ぼろぼろでもちゃんと飛べるんだね」
「ああ。翼は形で、実際の飛行能力は右目の刻印だからな」
「それじゃ邪魔なんじゃないの?」
「そうでもない。風に乗るのは心地良いし、くるまると温かい」
ははぁ、そういうふうに使うんだ。
「あ、シンカだ」
村上空を一回りしたところで、露店のわきでシンカとフーガが向き合っていた。どうやら勝負中のようだ。
「…うまくいったようだぞ」
「え、わかるの?」
「有翼人は耳がいい」
「そうなんだ。…でもまさか本当にうまくいくなんて。フーガ、見る目あるじゃん」
よかったなシンカ。お洒落した甲斐があったな。
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