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「シオリさん…」
おれはシオリさんの首に両腕をまわして、ぎゅっとした。
もっと…。
「ヒサシ…」
応えるようにシオリさんの腕に力がこもって、おれはきつく抱きしめられた。
ああ…
抱きしめられることって、こんなに素敵なことだったんだ。あったかくて、なんて安らかなんだろう。こんな気持ちは初めてだ。
吐息が漏れた。
「シオリさ…ん」
彼がいることで、おれは存在を証明されている。
「おまえは嘘ががうまい。わたしたちが眷属だと、咄嗟に思いついたのか」
「うん…。ややこしくなるのやだし、シオリさんにとっても…そのほうがいいかなって」
おれはシオリさんの腕の中から彼をうかがった。
「わたしは…この感情の名前がわからない。とても感謝している、ヒサシ。わたしを受け入れてくれて」
シオリさんはおれの腰を抱いたまま上半身を少し離して、右手でおれの髪をすくって口付けた。
そのしぐさは、おれが今まで見たことも感じたこともない色っぽさだった。
伏せられていた目がゆっくりと開いて、切れ長の目がおれを射た。
やばいと思った。なにがって? なにもかもだ!
「シオリさん、受け入れられるのはおれのほうだよ。ずっと、待ってたよ」
おれは眼帯の上からシオリさんの左目にふれた。
孤独に慣れたなんて大うそだ。そんな悲しい生き方に慣れたかったわけじゃない。おれは寂しさから逃げていただけだ…。普通の人とは違うおれだけを求めてくれる人がいない孤独を見ないふりしてた。この人がいなければどうしようもなく独りだった。
「おれは戻ってきたよ…」
見つめ合った視界がゆがんで、雫が頬を伝うのがわかった。
シオリさんはおれの頭を上向かせ、優しい指で涙をすくいとった。そして、ごく自然に、唇が重なり合った。柔らかい感触、初めてのキス…。
「…おかえり、ヒサシ」
シオリさんはおれの頭を抱き寄せた。
ああ、本当にやばい。引き込まれていく。
おれは優しくほほ笑む彼にキスをした。何度も離れては触れ合った。
ふいに、肩にじんわりと滲み出すような痛みがやってきた。
「っ、肩、痛い…」
鼓動に共鳴するように痛みが波打つ。
シオリさんは唇をすべらせておれの肩に口付けた。さっきと同じに、すっと痛みが引いていった。
「辛いだろう、これほど鮮明に刻印があらわれては。…ヒサシ、髪が」
髪?
光ってる…
青白くキラキラと。
ランプを吹き消してみると、おれの蒼髪は毛先まで星のようなまたたきで煌めいていた。
「なんで…?」
なにが起こってるんだ?
「おまえの髪に…力が継承されている。蒼はまだわたしを憶えているというのか」
力。シオリさんの左目に宿っていた破壊の力? おれの髪に?
おれは生まれてはじめて自分の髪がきれいだと思った。同時に、怖いとも。そんなおれの心境を感じ取ったのか、シオリさんはおれの頭をなでた。
「怯えることはない。人間が持っていても使うことはできない力だ。蒼が、わたしに反応しただけだ…」
「あんたのキスは魔法だね。痛みを消してくれたり髪を光らせたり」
「魔法、か。そうだな」
シオリさんに出逢ったときにおれは魔法にかけられていた。キスではなく、彼の悲しい瞳で。片時も忘れられなかった。誰も信じもしない有翼人を、おれだけは知っていた。彼の存在そのものでおれを狂わす、あるいは正常にさせるのに十分だった。
シオリさんはあまりにも儚く、希望も絶望さえも失って宙ぶらりんだった。哀しいくらいの優しさでおれの前に現れた。
彼はおれを求めていた。心を埋める存在、自分が以前失ってしまったたった一つのものを。
おれは彼を求めていた。他人とは明らかに異質な自分の存在の意味を証してくれる人を。
レゾンデートル。おれたちはお互いが存在理由なんだ。
「この翼、元には戻らないの?」
ぼろぼろになった翼。治せるなら今すぐ治してあげたい。
「長い年月が過ぎてわたしの維持力は涸れてしまった。もう自己復元はできない。維持力を回復するためには聖域に湧く霊水が必要なのだ」
「じゃあ、もうこのままなんだね…。おれ想像してみたんだ。翼の生え揃ったあんたはどんなにきれいだろうって。この大きな翼で大空に吹く風に乗ってる…。でも、その姿はおれには見ることができないんだ」
シオリさんの胸に耳を押し当てると、かすかに鼓動がきこえた。かなりゆっくり、忘れたころに次の拍動がしていた。目を閉じて想像したシオリさんの姿はおれの心をときめかせた。だけど、ここにいる現実のシオリさんのほうがそれ以上におれの心をときめかせていた。
「おれの想像よりも、ここにいるシオリさんのほうがずっときれいだよ」
「…わたしは地上に堕とされて幸いだったのかもしれない」
シオリさんの柔らかい体温を感じる。
「半身を引き裂かれ、おまえにたどり着き、完全だったころには必要ともしなかった感情を知ることができたのだから」
「それは、どんな?」
…トクン…
「聖域において自らで自らを補完できていたわたしは、他のなにものをも必要としなかった。完全というのは、あらゆる感情を切ることなのかもしれない。不完全な今のわたしの中にあるのは、おまえを慈しむ思いだ…」
…トクン…
「もうわたしは力に溺れることはない…。おまえをこうして抱きしめられることがどれほど幸いなことか」
なんだかくすぐったいな。そんなふうに思ってくれてるんだ。
「うれしい」
暗い部屋で青白い煌めきに包まれて重ねた口づけは、もう慰めあうものではなかった。敏感になった唇がシオリさんを感じて、体の奥がじんとしてきて、たえられず崩れた膝をシオリさんが抱き留めてくれた。
「ん、ごめ…。力抜けちゃった」
シオリさんはほほ笑んで、おれをベッドまで運んでくれた。
「今日はもう休もう。おまえの体を気遣うべきだった。すまなかったな」
「大丈夫、ありがとう」
体の奥はまだうずいているのに、まぶたが落ちてくる。眠くて今にも意識が飛びそうだった。
おれは手を伸ばした。シオリさんがどこかに行ってしまうような気がして。
「わたしはどこへも行かないよ」
シオリさんは手を握ってくれた。おれの髪がシオリさんの表情を蒼く照らしていた。彼の瞳は、優しい月の色だった。
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