レゾンデートル

〜 天の羽衣 〜

(4)




 白い短髪と長衣、左目を黒い眼帯で覆った涼しげな顔立ち、背に生えたぼろぼろの翼…、天使。

「わたしの翼が、視えるのか」

 咲き乱れる花火の下で。

 ぼろぼろの天使はゆっくりと距離を縮めてくる。

 おれは、彼に見とれてしまっていた。

「名は?」

 彼がおれを見下ろした。

「ヒサシ…」

「わたしはシオリ。また会えるかな」

「うん」

 おれが無意識に答えると、彼は口元でかすかに笑って、背を向けて去っていった。

「ヒサシ? 今の人だれ、知り合い?」

「うん…」

 戻ってきたシンカから飲み物を手渡された瞬間、おれは腰を抜かしてしまった。

「おい、大丈夫か!?」

 それからおれはすっかり呆けてしまって、祭りどころじゃなくなっていた。心配したシンカがおれを家まで送ってくれたけど、その間なにか話してたはずなのに思い出せない。

 家に着くと少しは落ち着いた気がした。シンカには礼を言っておいた。

「オレは祭りに戻るからな。おまえはもう寝てしまえ。ちゃんと鍵かけろよ。あとでまた来るよ」

 言われたとおりちゃんと内鍵をかけて、ベッドに横になった。

 シオリ…そう言ってた。彼の名前。とてもきれいな天使。

 十年前と同じ雨乞い祭でまた会えた。そしてきっとまた会える。彼はほほえんでいた。

 シオリ。シオリさん。いい響き。どこか懐かしい感じさえする。

 と、突然。

「あっ痛…!!」

 左肩に激痛が走った。今までにない激しい痛み。しかもなかなか引かない。

 いたいよ…!

「いた…い…」

「見せてみろ」

 え!?

 どうしてここにシオリさんがいるの!

「あんた…っ、どこ、から…」

 扉は確かに施錠してた。どうやって入ってきたんだ?

 痛みは引くどころか強くなる一方だ。苦しい。まともに息ができない。

 おれは恐る恐る肩を押さえている手をずらし、腕を締めて痛みをこらえた。あらわになった肩口には、今までにないくらいはっきりと紅く、みみず腫れになって模様が浮かび上がっていた。

 はっ、はっ、はっ…苦しいっ! なんだよこれっ!

「やはり、おまえだったか…」

 シオリさんはそう言って浮き上がった模様に口付けた。

 するとどうだろう、すうっと波が引くように痛みが流れていき、模様も消えてしまったんだ。

「はぁっ、はぁっ、あんた…」

 おれは息を整えながら彼の顔を見上げた。

「勝手に入ってすまなかった。天窓が開いていたのでな。…どうした? まだ痛むか」

「あ、ううん大丈夫」

 彼がおれの顔をのぞきこんできて、おれは我に返った。どうやらまた見とれいてたらしい。

「…あんたの翼、ぼろぼろだね。十年前もぼろぼろだった」

「醜いか? この翼が」

 おれは慌てて首を横に振った。

「そうじゃなくて、なんか、きれいだから…」

 刹那、彼の動きが止まった。そして涼しげな顔がゆっくりとほほえみに変わった。

「ありがとう」

 おれはそのほほえみで、十年前と同じに心臓を鷲づかみされた気がした。

 ―…そばにいるだけで、胸が締めつけられる。

「あの、さっき言ったよね、おまえだったかって。どういうこと? どうしてあんたがキスしたら模様も痛みも消えたの」

 シオリさんは少し考える風にうつむいて、手近にあった椅子に座った。

「…簡単に言えば、おまえは力だからだ。以前わたしが持っていたものだ」

「ちから?」

 シオリさんはうなずき、左目の眼帯に触れた。

「おまえの髪の色と肩の刻印が示すものは、まさしくわたしが失った左目。左まぶたの下は空洞だが、以前はここに力が宿っていた。わたしの右目をごらん、刻印が見えるだろう」

 シオリさんの言うとおり、のぞいた右目には、なにやら模様が見て取れた。それはおれの肩にあらわれたものと似ていた。

 あれ、色が…。

「色、違うんだね。あんたの右目は深紫色だ。おれが左目だって言ったね」

 だとしたら、蒼。

「ああそうだ。われわれは二つの瞳に二つの色と刻印を持つ。そのうちどれかひとつでも欠けると、聖域での存在を維持できなくなる。不完全な有翼人を聖域が認めないからだ。わたしは左目をえぐられた」

「どうして…」

 シオリさんは過去を嘲るようにふと笑った。

「罰さ…」

「罰?」

「はるか昔、わたしは聖域を破壊することに悦びをおぼえる狂者だった。左目に宿った破壊の力におぼれていたのだ。だがついに捕らえられ、力の源である左目をえぐられた。

 おまえの肩の刻印は聖域への誓約を意味するものだ。そして蒼色は破壊の力。隻眼となっては聖域に留まることはできない。わたしはこの地上へ追放された。

 聖域の門をくぐるとき、番人から、左目も地上に放たれることを聞いた。姿を変える左目は、運がよければ人間の形態となるらしいことも」

「それが…おれ」

 シオリさんはうなずいた。

 それが真実なら、おれの血筋が蒼髪なのにはちゃんと理由があったってことだ。

「地上に降りてからわたしはしばらく自棄状態のまま彷徨っていた。右目の刻印の飛行能力で太陽を追いかける日々を送っていた。聖域には夜がなかったから、闇を恐れたのだ。

 ある夕暮れに立ち尽くしていたとき、初めて満月をみた。その夜に闇はなかった。景色の蒼さに心打たれて、わたしは門の番人の言葉を思い出した」 

 淡々と話すシオリさんの深く澄んだ声に、おれは引き込まれていった。

「そして左目を捜さなければと思った。左目を見つければわたしは孤独ではなくなる、そう考えていることに気付いたとき、わたしが真に恐れていたのは、闇ではなく左目の喪失を認めることだと気付いたのだ」







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